とら目線

創作と向き合う

劇場版スタァライト考察メモ

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個人用に書き始めたものが思っていたより形になったので、成果として掲載。

スタァライト視聴歴は3回。過去に書いたnoteはこちら

 

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本題。

 

ー劇場版レビュースタァライトとはどのような物語だったのか?ー


結論:聖翔音楽学園に集まった99期生たちが、登ってきたスタァライトの塔から降り、それぞれの道へ進んでいくお話

劇場版が始まった時点で、「自分たちは塔を降りなければならない」と気付いていたのはひかりとばななの二名

聖翔での日々は皆を心躍らせ、現状への満足感をもたらしたが、当然ながら永続的な関係というわけではなく、卒業と同時に一人一人が自分の道を歩み出さなければならない

ひかりは未練を断ち切るために聖翔を去り、ばななは『皆殺しのレヴュー』で他の星光館メンバーに現状を伝えた

しかし、この二人も塔を降りる準備が整っていたわけではない
何故なら、塔を降りるには幾つかの条件を揃えることが必要だから

この条件は101回レヴュースタァライトの台本に書かれている

前提:囚われ変わらないものは、やがて朽ちて死んでいく
提言:だから生まれ変われ
条件①:古い肉体を壊し、新たな血を吹き込んで
条件②:今いる場所を、明日には超えて
条件③:辿り着いた頂に背を向けて
結論:今こそ塔を降りる時

つまり、塔を降りる為には生まれ変わる必要があり、その為に条件①~③を満たさなければならない

一方的な退学で周囲との関係に決着をつけなかったひかりは条件②を満たせず、99回スタァライトへの未練/純那への執着が残っていたばななは条件③を満たせなかった。

※ひかりの新たな目標は(推察するに)「一番のスタァになること」だが、聖翔を出て行くときに「華恋に負ける恐怖」と向き合わないまま飛び出してきたので、目標へ向かう力が恐怖心に負けてしまっている。但し、未練を断ち切って大海原へと踏み出したので、劇中でも死体は描かれていない。

他のメンバーたちも、現状への満足感や居心地の良さから、それぞれ旅立ちに不安を抱えている。まひる、純那、クロ、香子、双葉は条件①を満たしていない。また、天堂真矢は”神の器”という自己認識に囚われているので、このままだと朽ちて死んでいく運命にある。華恋は少し状況が異なるので後述。

以降のワイルドスクリーンバロックでは、この条件を満たすためにそれぞれが舞台に上がり、レヴューを演じる。①は『皆殺しのレヴュー』と決起集会の読み合わせのあと、皆が条件を満たした。(=私たちはもう、舞台の上)つまり、全員が「自分たちは塔を降りなければならない」と認識したことによって、ワイルドスクリーンバロックが起動した。

以下は各人の結果。

双葉:香子と並び立つ存在になるため、腐れ縁に背を向けて第一国立へ
香子:双葉の飛翔を待つため、彼女への執着に背を向けて京都へ戻る
まひる:輝く舞台女優になるため、恐怖に打ち克って舞台に上がり続ける
ひかり:一番のスタァになるため、華恋への恐怖心を克服する
純那:煌めく主役を掴むため、敗北を恐れず役者を続けていく
なな:純那との再会を果たすため、役者の道を歩むと決意
クロ:真矢のライバルであり続けるため、研鑽し続けることを決意
真矢:いつまでもライバルとのレヴューを楽しむため、欲望を曝け出すことを決意

前文が②、後文が③の条件を満たす。双葉を例にすると、辿り着いた頂=実りある聖翔での生活 今いる場所=聖翔での香子を見上げる立場 超えた先=香子と並び立つ景色


整理すると、塔を降りる為にはこのような経路で準備が必要である。
①未練を断ち切る。新たな欲望を持つ。
②新たな欲望へ向けて努力すると決める。

③未練に背を向けて前へ進む。

ワイルドスクリーンバロックは先に①〜③の準備が整った方が相手を導く形をとっており、双方が自分の道を見つけた時点でレビューが終わる。

双葉→香子
まひる→ひかり
純那→ばなな
クロ→真矢


※掲載当初、条件②.③の順番が逆になっていました。文章に大きく影響しなかったのですが、多少のズレは出ていると思います。

ここまで話題に取り上げなかった華恋は、100回までのスタァライトに満足感を抱いており、”未練”という概念を持っていない。しかし、結局のところスタァライトを完成させたメンバーは全員が卒業してしまうため、このままでは朽ちて死んでしまうことになる。そのため、ひかりは「新たな欲望の対象」として自身の存在を華恋に見せつけ、彼女の中の闘争心を引き出した。

新たな欲望が生まれた時点で、スタァライトへの満足感/運命の手紙に対する執着は”未練”となる。しかし、華恋はあまりに長くこの感情を持ち続けていたため、単に新たな欲望を認識するだけで過去と決別するのは難しい。そこで、ひかりは華恋を突き刺す(未練を吐き出させる)ことによって彼女を空っぽの状態に戻し、新たな欲望を詰め込むキャパシティを用意した。

ここまで”塔を降りること”を主題として書いてきたが、あくまでこの作品は「私たちはもう、舞台の上」というテーマを軸に物語を組み立てている。何故なら、塔を降りた後も彼女たちの物語は続いていくため。ワイルドスクリーンバロックで皆が抱いた欲望を叶えるのは”この先”のことであり、劇場版で獲得したのは今後に対する初期衝動にすぎない。EDとラストで卒業後の彼女たちを描いたように、夢を叶えるための努力はまだまだ続いていく。そこまで見据えた上で、”塔から降り、目標へ向かう道”を「舞台の上」と表現している。

また、冒頭で”それぞれの道を進んでいく者”を「99期生たち」と記したが、これは星光館+ひかりの9人だけでなく99期生全員のことを指す。公演スタァライトは同学年の総力を挙げて作り上げるものであり、卒業後はそれぞれの道へ進んでいく。「遥かなるエルドラド」は、祖国エスパニアを聖翔学園に見立て、そこから離脱するひかりを追求する意図が盛り込まれている(と思われる)。それ故ひかりには塔を降りる資格がないはずだが、まひるに「ヘタクソ」「もっと本音で話せ」「もっと感情出せ」と散々叱られた後に許され、受け入れられたことで、彼女にも99期生と同じく塔を降りる権利が与えらえた。また、それぞれが立てる目標は何を指針にしてもよく、実際にふたかお/じゅんなな/真矢クロはお互いを先へ進むための動機として捉えている。しかし、華恋がひかりを目標にしたのに対してひかりやまひるは個人的な願いを目標としており、より自立的である。

いずれにせよ、彼女たちは99期生での生活を終え、皆で集まっていた一纏まりの状態から、塔を降りて一人一人の人生を歩んでいく。その為に学校から課せられたものや、集団の目標を追うだけでなく、自分だけの目標を作り上げる必要がある。更に、塔を降りて(卒業して)からも自分の道を歩むためには、その目標への心意気をより強く、太いものにしなければならない。そこで彼女たちに与えられた機会がワイルドスクリーンバロックであり、本音を持ってぶつかり合うことで自身の目標に気付き、認め合い、自分自身を確立していく。楽しかった日々に別れを告げ、前向きに目標の達成を目指し、希望を持って大空へ羽ばたく。私たちはもう、舞台の上。少女たちは可能性を求めて、今日もどこかで舞台に立っている。

 

サムネイル画像引用元:サムネイル引用元:©Project Revue Starlight