とら目線

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『夜のクラゲは泳げない』1話短評 ---自分探しの問い直し---

暫く物語に触れていなかったが春から目を通すようになった。今回は『夜のクラゲは泳げない』を評する。

 

yorukura-anime.com

 

一話が放送された段階だが、タイトル通り「自分探しを問い直す」作品のようだった。と言っても作品自体に「問い直し」の意味合いはないだろう。純粋に迷い間違えながら進んで行く少女たちの話を熱量かけて描いていくはずだ。

「問い直し」と書いたのは自分探しが何度目かの波を経験してきているからだ。一世代前は『宇宙よりも遠い場所』や『色づく世界の明日から』が放送された2018年前後だろう。この頃の作品が辿り着いた結論はおおよそ「質のいい関係」だった。本気で夢を語り合える仲間若しくは優しく包み込んでくれるような友人。「私」とは独りで成立する存在に非ず。そんなメッセージを残して行った。

しかしこの結論には穴があった。結局のところ「質のいい関係」が得られるかどうかは運という部分だ。そもそも不安定で再現性が低く構築にも時間のかかるのが"関係"だ。そう易々と新しい友人を見つけるためのチャレンジが許されるわけでもない。煌びやかなアニメの世界に対して現実では"関係"を築く難しさやコスパの悪さに絶望した声が見られるようになった。『親ガチャ』という言葉が流行ったのは正にそれだろう。環境が悪ければ自分まで潰れる、半分正解で半分間違いの言葉が浸透したのは「質のいい関係が重要なら、それを与えられなかった私たちはどうすればいいの?」という戸惑いと諦めから来るものだった。

 

さて時期的には「問い直し」の段階に来ている自分探しだが、この作品では「出会っちまった女と女」の"関係"に基づいて物語が進む。「はあ、また"関係"か」と溜め息を吐きたくなるところだが、救いがあるのは"才能"や"努力"なんかも包括的にカバーしているところだろう。まひるはセンスがやや若人離れしているものの絵が上手いし、花音も一度社会に圧し潰されたところから再起を懸けて努力している。アタリをつける(増やす)のは大事だ。一話で提示された要素(関係才能努力)を三つとも持っていない人も一定数いるだろうが、とりあえず一つ持っているだけでも光は差し込む。

まひるは「大衆」としての人生に見切りをつけている。「大衆」にも凡才と秀才がいる。秀才とは要するに出世株、サラリーマンなら社長や取締のような役員になる人だ。まひるはエリートコースに乗れるとは思っていないが、社会に溶け込むくらいなら出来ると考えている。*1。しかし想像する未来は明るくないし、面白くもない。

そこで「自身の才能を使って昇り詰めていこう」と決心するのが一話だった。屋久ユウキ氏は思春期の"群れ"的な自意識を描くタイプだと感じていたので"個"にフォーカスするのは少々意外だった。裏表ともいえる。「みんな一緒、みんな同じ」を掲げるなら、その裏返しは「私は私」だろう。確固たる「私」にアイデンティティを求めるのは十代の精神的な熱にマッチする。

 

宇宙よりも遠い場所』と異なるのは向社会的な部分だ。世界の果てに旅立つ願いを馬鹿にされた分、他人の利益にはならない行為に執着し突き進んでいった報瀬に対して、花音とまひるの願いは「この社会に受け入れられる」「この社会で夢を叶える」という部分で一致している。如何にして社会に受け入れられるような価値を創造するかにフォーカスしている点を見れば、この作品が薄暗い渋谷から始まったのも頷ける。渋谷のネオン街は確かに東京のダークサイドのように見えるが、集まる人たちは「トー横キッズ」と同じく完全に社会から離反しているわけではない。花音もまひるも社会に反目してやろうとは考えていなくて、最初からそこ(東京)でもっと受け入れてもらいたい、受け入れられるような自分になりたいと考えている。その意味では現代社会の若者が目指す方向性を忠実に反映していると言えそうだ。自分探しの内容も無重力の状態から作り上げる「私」を離れて「社会の中の私」とスケールが小さくなっているが、その分だけ着地点を見つけるのは容易になるだろう。『宇宙よりも遠い場所』や『色づく世界の明日から』は自分探しを終えてポンと社会に戻る、成長してから社会に溶け込んでいく内容*2だったが、この作品では自分探しの終着点がそのまま社会適応になるからだ。社会の中で居場所を手に入れた私、それこそが誇れる私。表現してみるとややニヒルだが、現代で「まだ何物でもない私」がアイデンティティを獲得するなら妥当なステップアップになるだろう。最早アウトローを演じる舞台(環境)など何処にも残っていないのだから*3

 

『夜のクラゲは泳げない』の今後を占うなら、ただのサクセスストーリーが展開されるか、迸るような少女たちの交流が描かれる(結果として成功が付いてくる)か、その辺りで違いが出てきそうだ。まひるや花音が精神的に成長したと感じられるような物語が見たいし、その為にグチャグチャの本音を吐き出すようなシーン*4も必要になってくるだろう。正直言って「軽い」ように見えるキャラたちに何処まで深みを出せるだろうか。

動画工房のグリグリ動く画面も合わさって"楽しさ"は十分な『夜とクラゲは泳げない』。匿名活動中なのに思いっきり顔出しで歌うトンチキを連れつつ物語は続く。二話以降も期待。

*1:「まあ一端の会社員にはなれているだろう」と考えるまひるの不遜と傲慢が感じられる場面。この軽薄さがラストシーンのカタルシスに繋がるのも含めて面白い

*2:未来への希望を感じさせつつ、社会に溶け込んでいく様子は見せずに終わる。『放課後のプレアデス』なんかも同じ

*3:宇宙よりも遠い場所』から反転した理由の一つに「ドロップアウトの陳腐化」が挙げられる。当時アウトローは"格好いい存在"だった。自分自身で道を選択し、レールを敷き直し、未来を切り開く自由人。しかし社会の要求が高まり「普通」を保つのが難しくなるにつれて転落は日常と隣り合わせのものとなり、花音のように炎上から落ちこぼれるのも珍しいことではなくなった。ドロップアウトが普遍的なものとなった現在はアウトローを格好いいものと思えない。だとしたら社会の中枢に突っ込んでいくしかない

*4:『BLUE REFLECTION/澪』のように、覚悟を問う為に少女たちの信念や理想を圧し潰し、現実と直面させて揺さぶる展開があれば尚良いだろう