とら目線

創作と向き合う

優木せつ菜

そろそろ書いてもいいかと。

優木せつ菜は去年四月に担当声優が交代した。そこから6th Liveまでは虹ヶ咲をメインに活動していたが、今はシャニマスを中心にしている。その理由を書く。

新任声優発表~交代まで

林鼓子の名前が発表されたのはいつだったか……まあそこは拘らなくてもいいや。確か「優木せつ菜」として第一声が乗ったのは『スクフェス2』のサンプルボイスだったと思う。皆はどう受け取っただろうか。私は「雰囲気が大分違う」と感じた。声色はとにかく、キャラクターの雰囲気が違う。何というか優しい感じ。その後はSD絵に声が付いたアニメ*1とかOVAの告知とかで少しずつ情報公開されて行ったが、動いて喋る優木せつ菜はまだ見られなかった。

OVA公開

六月の……いつだっけ。二十三日だったかな。OVAが公開された。キャラクターが喋って動くと情報量も変わる。ここで優木せつ菜の印象が「優しくて賢い」に変わったのを確信した。なるほど、これが林鼓子の表現する「優木せつ菜」か。

にじたび

優木せつ菜の印象は一旦横に置いて、ここからは林鼓子という声優に対しての印象を書く。一言で滅茶苦茶頭がいい。独自の感性があり、いきなりMCを任されているにいも関わらず、適切にトークを振って場を回すセンスもある*2。なるほど、それは賢くなるわ、せつ菜。

一番求めていたもの

優木せつ菜に賢さを求めていたわけでは無い。どちらかというと猪突猛進的な向こう見ずのキャラクター性に魅力を感じていたので、その部分が見られなくなったのは残念だった。ただそこは「一番求めていたもの」ではなかったりする。要するに「自分の望み通りの優木せつ菜が提供されること」は一番のニーズでは無かった。これ自体は(前任の)楠木ともりが役を務めていた頃から同じで、もし彼女が「明日から優木せつ菜のイメージを変えようと思うんです」と言っても「そっかー」くらいの反応だったと思う。

林鼓子の優木せつ菜に求めていたもの、個人的に持っていた望みは「楠木ともりが演じる優木せつ菜の劣化コピーにならないこと」だ。さっき書いた通り、林鼓子の演じる優木せつ菜は第一声からして印象が違う。「楠木ともりの演じる優木せつ菜」が唯一無二であるように、「林鼓子の演じる優木せつ菜」もまた唯一無二だ。その無二性を捨てるような状況にはならないといいが……と思っていた。

Re:にじたび

話題をにじたびに戻す。この頃は優木せつ菜のボイスが多く提供されたが、やはり「楠木ともりの演じる優木せつ菜」をかなり意識して役作りをしていた。これ自体はおかしな話ではない。前任声優のイメージを吸収しつつ「自分なりの優木せつ菜像」を作っている過程と考えれば当然とも言える。私たちに対する気遣いもあっただろう。いきなり我が物顔で優木せつ菜を演じれば、ついてこれない人も結構いただろうから。

虹ヶ咲の中でどうするか

既に書いた通り、「林鼓子の演じる優木せつ菜」の中に私の最も見たいキャラクター性は見出せなかった。その結果、声優が変わってからも私の中に在る「優木せつ菜」は相変わらず「楠木ともりの演じる優木せつ菜」だった。そうすると少し困ったことが起きる。虹ヶ咲の展開を追っていっても、求めるものは二度と降ってこない。

一応の解決策として二次創作にこもり「求めている優木せつ菜」を造り続けるという手段がある。ただこれは良くないなと思った。あまり明確な理由は言えないが、とにかく良くない気がした。かといって虹ヶ咲の展開を「今が最高!」と言いながら追いかけていくのも何か違う。そこには嘘が混じる。どうすればいいだろうか?

色々考えた上で、とりあえず「林鼓子が自分なりの優木せつ菜を演じられるようになるまでは、虹ヶ咲をメインにする」と決めた。その後は自由。動きながら考えよう。

この条件にしたのは、既存のファンがお膳立てしてあげられる部分とその限界を考えたからだ。酷なことを言うと、「前任声優の演じる優木せつ菜を再現しよう、既存のファンに配慮して演技しよう」と考えているうちは、新しいファンがつかない*3。本人の持つ魅力が十分に発揮されないためだ*4

林鼓子の優木せつ菜が軌道に乗るためには、やはり最初に感じた「優しくて賢い、理知的な部分もある優木せつ菜」を本人が演じきれるようになる必要がある。そうすれば勝手にファンは増えていくはずだ。悲しい話だが、それ以降になってくると私のような人間は邪魔だ。新しい優木せつ菜が作られて行こうとする時に、過去に拘っている人間は障害にしかならない。私の役割はそこまでだろうと思った。

又 性懲りも無く目指しちゃった 

アナタからは 只 遠退く日々

先送りになる安らかな眠り

僅かな光に似た希望が

君の細胞に絡まった日から

一向に離れない 

それだけ

体は日増しに器用になって

心は間に合わなくって泣いてる

大人になって置き忘れたのは

軽やかなスランバー

tacica/HALO

6th Live

来る6th Live、林鼓子からポジティブな発言が見られた。本人は言語化に苦労していたようだが、纏めると「自分なりの優木せつ菜を演じていく」という内容でいいだろう*5

先ほど「林鼓子が自分なりの優木せつ菜を演じられるようになるまでは、虹ヶ咲をメインにする」と書いたが、この発言が出た以上、時間の問題と見ていいだろうから、ここで自分に虹ヶ咲から離れる許可を出すことにした。その後は冒頭に書いた通り、シャニマスに主戦場を移して新しい世界を見に行っている。

林鼓子に一言伝えるとすれば「早えよ」だろう。声優交代してから横浜公演までたったの九か月しか経っていない。凄まじく吸収と実践のサイクルが早い。二、三年はかかってもおかしくないところに九か月で気付く才能には恐れ入る。

私としては有難かった。動いていないと死ぬ体質なので、スムーズに次の場所へ足を踏み出せるほうがずっとやりやすい。常にベストな状態とは言えなくても、自分の力で好きな作品、光となるようなコンテンツを探す自信はある*6

林鼓子

優木せつ菜役を引き継いだのが彼女で良かったと思っている……これは強がりかな。ただ、彼女が優木せつ菜になったのは多くの人にとって"ベストな選択"だったと言える。私にとってはそう言い切れない部分もあるかもしれない。でもこれで良かったんじゃないだろうか。ずっと同じところに留まっているのが常に素晴らしい結果を呼ぶとは限らない。

林鼓子本人については……とても才能のある人だと感じている。既に色々書いてきたけど、彼女に対する評価は高い。というより、評価を高くせざるを得ない要素を多く持っている。それらを維持する為に、又は新しく手にする為に、努力しているのも見ていれば分かる。正直、恐ろしい。努力する天才には勝てんて。優木せつ菜のファンは大変ですよ、彼女の成長速度に追いついていかないといけないんだから。

楠木ともりについてはアーティスト活動も追っているが、二人のうち「天賦の才を持っている人はどちらか」と問われれば、林鼓子の方をあげる。楠木ともりは何というか泥臭い方が似合う。だから彼女の演じる優木せつ菜を好きになったのだろう。林鼓子は全体的にスマートだ。

それだけに、アーティスティックな活動をしていないのは惜しい。林鼓子にも自身の思想や考え方を発信する、表現する、創作する存在になってほしいと思っている。初めて現地で彼女を見たのは『にじたび』東京公演だったのだが、その時に「この人ずっとニコニコしてるけど、頭の中は宇宙だぞ」と感じたのを今も覚えている。勿論腹黒だと言っているのではなく、目に見えない部分で考えながら自身の振る舞いを決めているという意味だ。その考えている部分を発信するようになったらどこまで伸びるか分からない。二十代前半はインプットの時期だし、どうするかは彼女が決めることだが、私はその日が来るのを楽しみにしている*7

それでも、優木せつ菜しかない人たちへ

楠木ともりの演じる優木せつ菜と同じくらい、林鼓子のせつ菜も好き」な人は素直に祝福したい。おめでとうございます。ただ、「実はしっくりきていないけど私にはせつ菜しかいない、代わりなんていないんだ」という人もいるはずだ。先ほど「亡霊死すべき、慈悲はない」と書いた(書いてない)。しかし、私が選ばなかっただけで、二次創作にこもって好きだったせつ菜像を描き続けるのも、虹ヶ咲にしがみついて亡霊と化すのも、あっていいんじゃないかと思う。そういう折り合いのつかなさと向き合う、もしくは向き合えなくて暴れる時間もまた意味のあるものだと考えているし……何より、虹ヶ咲のようなアニメコンテンツにはそう言った人の受け皿であってほしいと思っている。要するに世間的な動きに合わせて自分を変えられない人、曲げられない人、自分を貫きたい人の。今となっては大衆娯楽と化している(深夜)アニメだが、元々は現実と折り合えない人たちのニーズが強いコンテンツだった。需要が拡大して一般化したとしても、様々な環境に置かれた人が受容される場所であってほしい。ラブライブに限らず、二次元作品にはそういった懐の大きさを求めたい。

争い事や急なお別れに哀しくはなれども まだ現実に僕たちは抗えない

人間(ひと)らしく生きる事 人間(ひと)らしく生きぬ事 

その両方あって それこそ生きる事らしい

来た場所へ帰ろうとして

辿り着いたのがこの場所だっただけ

ある天才の吐く一言一句逃さずに捕らえたら 

四六時中妙な痛みに踠えてる

素晴らしく生きる事 見窄(みすぼ)らしく生きる事 

その両方あって それこそ素晴らしい

tacica/デッドエンド

心残りはある

罪悪感がゼロでないとは言えない。優木せつ菜のことだけを考えればベストな選択を取ったと言えるが、虹ヶ咲の現状を加味するとしがみついてでも残るべきだったと思っている。完結編、劇場公開、大事な時期だ。本来ならへこたれている場合ではない。

そうしなかった理由は二つ。まずは私の価値観に関わる部分。三公演に参加した6th Liveだが、根幹となるアルバムとの折り合いが悪かった。とりあえず「十二人でラブソングを歌います!」と聞いた時の印象は「マジでやめて」だった。曲を聴くのは最早拷問と言える*8。何故なら優木せつ菜や中須かすみ、同好会のメンバーは私にとって目標だからだ。矢印をこっちに向けてほしいのではなく、寧ろ背中を向けて私たちの道標になってほしいのである。ラブソングと言うのは「前向きに走るのをやめ、私たちの方を振り向いて、手を差し伸べて待つ(場合によっては駆け寄ってくる)」ものであり、その全てが私の地雷を踏み抜いている。だってそんなの、私の存在が同好会の成長を妨げているということで、只のお荷物になっているじゃないか………冷静になろう。兎にも角にも、同好会に前を向いて走っていてほしいし、また自分でもそうしていたいのである。だとしたら、自分の利益を投げ捨てて優木せつ菜の為に、虹ヶ咲の為に尽くすのは同好会への要求と矛盾するし、私のポリシーにも反する。だから虹ヶ咲に残るのは筋が通っていないと考えた。

もう一つ、単純に私の精神が成熟していない。自身の利益よりも他者の利益を考える、貢献するのはとても難しい作業だ。先ほど「ラブソングはマジでやめて」と書いたように、良かれと思ってやったことが相手にとって苦痛でしかないというのは当たり前に起きる。向き合っている他者のニーズを正確に把握し、実践して伝え、満足させるのは並大抵の所作ではない。私はまだ未熟なためにそれを安定して出来ないし、またそうする余裕も持ち合わせていない。端的に言えば、虹ヶ咲に残ったところで利益を与える存在になるどころか、早晩(虹ヶ咲にとって、若しくはそこにいる人たちにとっての)障害になるだろうと考えた。だとすれば、「ここで何をすればいいか分かる、貢献の仕方が分かる」と思えるような場所に移って何かをする方が余程リスクマネジメントが出来ている*9

償い 繕い 切れない 罪背負い 人は哀しくも健気に生きていて

求め合い 擦れ合い 絡み合い すれ違い

過ぎてしまったことはもう二度と戻らない

MOROHA/新約「償い」

立つ鳥跡を濁さず?

で、後腐れなく虹ヶ咲を発つことが出来ただろうか。私の方は見ていただければ分かる通り「アフター虹ヶ咲」を謳歌している。まあ、一つ居場所を失った程度でへこたれるほどヤワな人生は送って来ていない。問題は周囲から見てどう映ったかだ。

「お前の勝手な行動にイライラした」と言われれば頭を下げるしかない。ただ限界まで綺麗な形で虹ヶ咲を去るよう努力したので、これ以上はどうにも出来なかったと言える。それならば過剰に卑下するのも良くない。自身の未成熟を把握せず、やたら反省しすぎるのも傲慢さの一種だからだ。

私の便宜を図っている場合ではない

今出来るのは、結局虹ヶ咲の成功と発展を祈ることなんだろうと思う。勿論優木せつ菜においても。可能な限りは貢献するし。「嫌いになったわけではない」って残酷だよね。綺麗な言葉に見えて、その実、無関心ということだから。

今後も虹ヶ咲に関心は向けておきたいかな。必ずしもいい方向ばかりとは限らないかもしれないが……ゼロよりマシか。今後も同好会及び優木せつ菜、林鼓子にエールを送りつつ、私は私の方向を向いて歩いていきたいと思っている。

 

細胞からやり直して

 

カラダから手を引け

 

眠れない夜から今日までを耐え抜いて

どこまで ぼくらは行ける?

それしか 方法はない 途方もない

じゃあ仕様がない  仕様もない脳内で

ぼくら ぼくら

tacica/ぼくら

*1:巷では「生首アニメ」と言われている

*2:「にじたび」内であった『レジェンドオブニジガク』のコーナーでは林鼓子がMCを務めた

*3:感度の高い人はバチーンと刺さるかもしれない

*4:要するに劣化コピーの状態。本人の魅力が制限されている上に前任声優の持つキャラクター性も十分に再現できない

*5:ちょっと強引な纏め方なので、やや真意から外れているかもしれない

*6:シャニマス、ガルクラ、終末トレイン。忙しい

*7:情報処理や記憶力、判断力、創造力などの認知機能を司る前頭前野は二十五歳から三十歳くらいまで成熟し続ける。そのため創作活動をするのは(前頭前野の発達が佳境を迎える)二十代後半でも遅くない。だからこそ、十代から自身の考えを発信する楠木ともりを尊敬している

*8:6th Liveに参加すると決めたのは私の判断だから、そこで聴くことに文句はない

*9:そう割り切るのも寂しいものだけど